大野町 (愛知県知多郡)
おおのまち 大野町 | |
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大野海水浴場 | |
廃止日 | 1954年4月1日 |
廃止理由 |
合併 常滑町、大野町、西浦町、鬼崎町、三和村→常滑市 |
現在の自治体 | 常滑市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
郡 | 知多郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 0.42 km2. |
総人口 |
4,221人 (愛知県郡市町村勢要覧[1]、1950年10月1日) |
隣接自治体 | 知多郡鬼崎町、三和村、旭町 |
大野町役場 | |
所在地 | 愛知県知多郡大野町字十市鍛76-1 |
座標 | 北緯34度56分09秒 東経136度49分34秒 / 北緯34.93581度 東経136.82617度座標: 北緯34度56分09秒 東経136度49分34秒 / 北緯34.93581度 東経136.82617度 |
ウィキプロジェクト |
大野町(おおのまち)は、かつて愛知県知多郡に存在した町。現在の常滑市北部に該当する。
伊勢湾に面する知多半島西側、矢田川の河口部に築かれた町であり、かつては大野湊(おおのみなと)と呼ばれて繁栄した[2]。大野海水浴場は古くからの潮湯治の場であり、「日本最古の海水浴場」とされることもある[3]。
歴史
[編集]平安時代頃、伊勢湾に注ぐ矢田川や前山川などの下流部である大野谷には、「大野庄」という荘園が存在した。「大野庄」は現在の常滑市北部・知多市南部・阿久比町西部一帯と推測される。1350年(観応元年 / 正平5年)には一色範光が大野城を築き、大野庄は伊勢湾の海運で栄えた。戦国時代のこの地域は佐治氏が支配していた。
江戸時代のこの地域は尾張藩領であり、大野湊は知多半島有数の港として繁栄した[4]。1672年(寛文12年)には江戸に向けた廻船が63あり、正徳年間(1711年-1716年)には大坂に向けた廻船もあったことが記録に残っている[4]。しばしば尾張藩の藩主も大野に潮湯治に訪れており、その際には代官を務めた平野家(大野御殿)に泊っている。
近世から近代の大野は大野鍛冶でも知られており、元禄年間(1688年-1704年)には185人もの鍛冶職人がいた[4]。船鍛冶と農具鍛冶に分かれる大野鍛冶は[4]、尾張国のみならず三河国や遠江国まで足を運んだ。天保年間(1830年-1844年)の大野では時計製造や酒造業も行われていた[4]。大野海水浴場は江戸時代末期から明治時代に刊行された『尾張名所図会』にも描かれている[4]。
明治期や大正期には、武豊港や国鉄武豊線の影響で知多半島東岸では工業が発達し、愛知電気鉄道常滑線の影響で知多半島西岸では観光業が発達した。1874年(明治7年)には大野郵便局が開設されたが、当時の知多半島では横須賀郵便局と亀崎郵便局と合わせて3つしかない郵便局の一つだった。戦前の大野は海水浴客などで栄えていたが、戦後には内海町の内海海水浴場など新興観光地に客を奪われた。
年表
[編集]- 1878年(明治11年)12月28日 - 大野村、榎戸村、西之口村、蒲池村が合併し、大野村となる。
- 1883年(明治16年) - 大野村が大野村、榎戸村、西ノ口村、蒲池村に分離する。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 大野村が町制施行、大野町となる。同村以外は合併して鬼崎村(後の鬼崎町、現在の常滑市)の一部となる。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 常滑町、大野町、西浦町、鬼崎町、三和村が合併し市制施行、常滑市となる。
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]娯楽
[編集]- 中之島映画劇場
- 大野劇場
名所・旧跡
[編集]- 斉年寺 - 曹洞宗の寺院。雪舟筆の「紙本墨画淡彩慧可断臂図」は国宝。佐治氏の菩提寺。
- 光明寺 - 浄土真宗東本願寺派の寺院。「阿弥陀如来像」や「法然上人絵伝」は常滑市指定文化財。
- 宝蔵寺 - 真言宗智山派の寺院。知多四国霊場第68番。
- 蓮台寺 - 知多四国霊場第67番。「聖観世音菩薩」は常滑市指定文化財。
- 海音寺 - 臨済宗妙心寺派の寺院。四国直伝弘法八十八箇所第74番。「銅製鰐口」は常滑市指定文化財。
- 東龍寺 - 浄土宗西山深草派の寺院。四国直伝弘法八十八箇所第73番。桶狭間の戦いや本能寺の変の際に徳川家康をかくまったとされる。
- 洞仙寺 - 徳川家康の伯母の於万の方とその夫小八郎の墓がある。
- 内宮御祭宮社 - 元伊勢の説がある。
- 小倉神社 - 大野村・小倉村の氏神。
- 風宮神社
- 江崎社
- 内宮御祭宮社 - 「かしら」は常滑市有形民俗文化財。
- 佐治神社 - 佐治氏を祀っている。
- 大野城址 - 模擬天守の展望台がある。
出身有名人
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1960年の映画館(東海地方)「消えた映画館の記憶」を参照した[5]。